野村玄良・ささ玄・第3回 ブログ版『日本語の意味の解』”狩人が創った日本語”

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◆狩人が作ったロジカルな日本語

日本語は神様が造ったのではなく、一人の超越的な能力を持つ狩人が創ったのである。
「何・なに」とは「ナ・柔らかな」+「ニ・土」で、土に付けられた獣の足跡を観察する「好奇・疑問」のコトバであり、「知る・しる」は、「シ・下」に刻まれた「ル・存在する事象の形式的概念」で、土の足跡の多様な痕跡は情報であり、その意味するものを「悟・さとる=サ・斜め下+取る」でその情報を探って取り込むことが「知る・下の痕跡を探求」することである。
現代においても、言葉の意味するものを、その根源的な側面で、反省的に理解することが強く求められて居る。
石器時代の日本語の本質とは何か。日本語が歩み続けてきた長い道程に古い文献が累々と積み置かれ、道々に、様々な歴史の轍(わだち)や人々の日常の足跡が刻みつけられている。
幾度となく災害に打ちのめされる我々は、今それらを振り返って「それはナニカ」と新たな観点から読み解くことによって、言葉の中に潜む先祖からの伝承や警告や生きる知恵を、謙虚に学び取るべきではなかろうか。
言語創生の過程は人間が火を扱い、石や木を加工して狩猟の道具を手にし、野獣から人へ踏み出した過程と歩を同じくして、言語を発明し人間性自体が形成されていったものと考える。
言語の起源の問題は昔から難問とされてきた。人間特有の能力として言語と並び注目されるのは、道具の使用とその製作である。通常の道具が自然環境に働きかける手段であるのに対し、言語は社会的相互作用、あるいは共同化の手段である。道具が孤立して存在するということはなく、常に弓は矢を射るためにあり、矢は獲物を射殺すためにあり、矢で射止めた獲物は生きる糧とするために「いる・要る」⇒「射る」のである。
つまり生命維持のために食べ物が「イル・要る」という前提において矢を「イル・射る」。射られた矢が獲物に命中すると、矢先が獣の体の中に「イル・入る」のである。 「はいる」は矢の端が「はいる・端入る」と言う構造になっている。
「イル・炒る・煎る」は食べ物を加工するために火で攻めることを意味する。「鋳る」は、火で溶かした金属を鋳型の中へ「イル・鋳る」のである。
イル」を素語分析すると、「イル」=「イ・尖りの形態・矢を射る形態」+「ル・現在進行中の状態・存在する事象の形式的概念(活用語尾)」=「射る」という人間の道具を用いる行為が「……のために」で行なわれ、その行為は流れる時間の中で現象を引き起こし派生的に事象を「モノゴト」というものの引き起こす事柄を因果律という法則性の観点からの変動の局面を切り取って同一の音節構造の中で「イベントスキーマ=概念の束化」という派生現象を構造化して「同音異義語」として封じ込める。その変容局面を切り取って言語記号で構造化して対象の形態を構造説明する、その説明が「素語」という単体の「原記号」でそれを「単体スキーマ」と呼称する。だから「単体スキーマ」は「実質」であり「実体」であり「誰もが認識できる実態」を認識の「核」として意味の構造を構築する「原材」としての言葉の「原記号」となしたのである。

筈(はず)
矢の末端の弦に番がえる凹みの部分を言う。古くは箆に切込みを入れるだけだったが、現在では角やプラスチックでできた部品をつける。筈は、挿し込んだ後に筈巻(はずまき)という糸を巻きつけて抜けるのを防ぐ。筈が弦から矢を発射する特は必ず「外れ」て矢が飛び出す。弦が外れるのも、はまるのも当然のことで、それができない様なそんな「筈」は無いという言葉である。当然のことを「筈」というようになったからこの言葉は石器時代のものだ。これは今でも否定形で「そんな筈はない」といった言い回しに残っているから、現代でも1万2千年も前の狩人が創った単語を使っているということになる。
「ハズ」の定義をすると「ハ・端」+「ス・通過する形態」⇒「ズ・簡単に通過しない」。濁音は清音の意義に「触り・雑な形態を付加」であるから「ズレ=はずれ」。筈が弦(ゆづる・ゆみのつる)から外れないと矢が飛び出せない。
ちなみに、同じ「はず」でも「弭」と書いた場合、弓の上下の弦を掛ける部分を指す。この混同を避けるため、筈を矢筈、弭を弓弭(ゆはず)ということもある。

◆「ヰノシシ・猪」は「ヰ・ゐ」で、猪はその家族が移動するときは必ず一列に連なって移動する。母猪が先頭に立ち、子供たちをはさんで、しんがりを雄親が守る時もある。「ヰすわる」は「連続して」その場所に存在することである。

「ヰ・wi」
「ヰ=ウ+イ=う/u/+い/i/=/wi/(母音結合による母音調和)・猪の形態・連続する形態」。猪の家族が移動するときの連なる形態。母親が子供の猪をを率いる形態。
奈良時代の発音では、かすかに/u/音が残存していた。
万葉仮名 音読 【位・委・威・萎・偉・為・韋・謂】。
訓読 〔井・猪・藺・藍〕。

『ヰ:wi』
【意味概念】 同類の物事が続く形態:連続・継続・引率。
イノシシを「猪・ヰ」と言う。「シシ」は獣の肉を意味し。鹿の肉を「カノシシ」と言う。
「ヰ・猪」は「率る」と同じ「引率・連続」の意。ではなぜ猪が引率なのか。古代人は猪の習性をよく観察していた。先頭に立った母親が沢山の子供(瓜坊・ウリボウ・ウリンボ)を引きつれて必ず一列に行儀よく移動する。たまに父親猪がしんがりを勤める時もある。これを「ゐども・猪伴」あるいは「ともじ」「うなとも」などと呼ぶ。
「ヰド・井戸」は「ヰ・連続」+「ト・ド(乙類)・線引して囲んだ内側=所」だから、「連続するものが、線引きして囲んだ内側にある」これは、連続して涌き出てくる水が取り囲まれた所の意である。「ド」は周りが立体的に取り囲まれた形状である。清音の「ト」(甲類)は、「線引きして平面的に取り囲む意」となるから濁音でなければならない。
「ヰル・居る」=「ゐ=ウ+イ=ui=wi(母音調和)・猪の形態・連続する形態」+「る=存在が持続する形態」。連続してその場所に滞在すること。
「鄙・ヒナ」は「平でなよやか」の意味構造であるから田園の広がる土地を表現した語。
人類が、厳しい自然環境の中で生き延びるためには、家族や血で繋がった同族集団(うから)を母体とした部族社会へと向かっていったと考えられる。外敵に対峙し狩に成功する為には集団の結束力が必要で、そのためには優れたリーダーの指示に従って行動する必要があった。
この指示命令に必要不可欠なものは情報のシステム・言語である。
食糧確保のために行われる狩の成功こそが、集団の死活を分ける生命線であった。狩りが成功するためには狩の役割分担が必要であった。獲物の発見、状況分析・追跡・追い出し、囲い込み、投槍・挿槍・仕留め・解体・運搬・加工・分配と言った集団の役割分担作業は、指揮者の統率によって、はじめてスムースに行われるのである。
狩の作法や戦術、あるいは共同生活における調整といった重要な項目のみならず、集団と言う社会全体の規則の決定・守らなければ罰則を与えると言う「掟・オキテ」は共同生活を潤滑に、また快適な環境にするための有益な知恵である。
一万年を遡る旧石器時代に言葉は当然使われていたであろう。何故ならばオーストラリアのアボリジニ人の言葉は、その生活様式旧石器時代であったにもかかわらず、非常に高度に発達した言語体(ラング)を駆使して生活していたことが綿密な調査によって判かっているからである。
わが国の縄文草創期の時代を代表する狩猟具は、槍と弓矢である。槍や矢の先端には、石の鏃・ヤジリが使われた。弓・弦(ツル)矢柄(ヤガラ)ともに植物が使われている。縄文人は盛んに弓矢を使って狩猟活動をしていた。
遺物としては煮沸器具である縄文式土器が、竪穴式住居から日用品の雑器類が多くみつかっており、集落も構成していた。また、石器の産地の考察から、縄文時代にも海洋を越える交易があったことも判ってきている。また、死者を埋葬した跡があることから、縄文の人々には初期の宗教 観があったことも確認されている。
従来の歴史書では縄文時代は主に植物採取・狩猟や漁労をして、少人数の集団が移動をしながら暮らしていた素朴な時代と考えられていたが、近年の考古学上の発見により、縄文時代観が大幅に塗り替えられつつある。例えば、1992年から発掘が始まった青森県青森市三内丸山遺跡の調査により、長期間にわたって定住生活をしていたことや、クリ、ヒョウタン、ゴボウ、マメなどを栽培していたことがわかっている。三内丸山遺跡を象徴する巨大木造建築物も発見されている。
ここで、我が国の縄文時代をはるかに遡る時代を覗いてみよう。
人類がアフリカで誕生してから200万年。その間、人類は道具を使って獲物を手に入れることに工夫を凝らして生き抜いてきた。人類の歴史の99%以上は「石器」が主役をつとめる石の時代であった。
日本列島では土器が出現する約1万2千年以前の時代を「旧石器時代」と呼んでいる。旧石器時代の日本列島は氷河期と言われるほど寒冷な気候であったため、現在より海水面が140mも低下していたと考えられている。旧石器時代の人々は、日本列島と大陸が陸地でつながっていたので、大陸からナウマン象やオオツノシカなどの獲物を追いかけて日本列島に渡ってきたと考えられており、新潟県内に残る旧石器時代人の足跡の化石は今のところ約3万年前にさかのぼると推定されている。
考古学は土の中から発見した石のヤジリを手にした時から始まったといわれている。 「矢」の存在は人類にとって非常に大きな問題で、この石器の研究が考古学の基礎研究として今も重要項目になっている。
現在では日本列島に人類が生息していた時期は地質学的に見て、およそ4~5万年前の中期の旧石器文化に遡るとされている。こんな古い時代の人間のことや、言葉の実態について何一つ手掛かりとなる資料は存在しない。言葉がいつ何処で誰がどの様に作り上げたのかという問題は永遠の謎に終わるに違いない。しかしながら、少なくとも縄文時代の遺跡や住居跡から想定される日本人の先祖達の生活ぶりから判断して、現代の和語とはそれほど大きな隔たりはないものと考える。何故ならば言語の変化の歴史を観察すると音韻の変化はかなりの速さで変化するものの、古相の単語の音韻変化はそれほど変化していないからだ。
例えば、人体部位の名称の「目・口・歯・頰・頭・鼻・手・足・踵・腰・腹」などの語は万葉集古事記や、平安時代源氏物語に現れる語と全く同じで、変化していないし、異相の方言も存在していない。

 

 

 

野村玄良・ささ玄の ハテナぶろぐ 『日本語の意味の解』第②回 第1章・ロゴスの探求「さをとめ」とは何か。

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第1章 和語の意味の構造

 この歌は【万葉集・1429・春の雑歌】若宮年魚麻呂の歌である。

 乙女らが かざしのために みやびをの かづらのためと しきませる 国のはたてに 咲きにける 桜の花の にほひはも あなに。【万葉集・1429】

 「をとめ」等の簪(かんざし)にと、「みやびを」(上品で優美な男)の頭に巻く縵(かづら)のためにと、帝のお治めになる、国の隅々に至るまで咲いている、桜の花の輝くばかりの美しさは、ああなんと。

 例えばこの歌の「をとめ」「桜」「咲く」の意味構造がどの様な規範に基づいて組成されているのであろうか。
 『乙女・ヲトメ』の語を手始めに考察をしてみよう。 
 語意を先に述べると、「をとめ・乙女」は「近寄る男を止めて寄せ付けない女・男性を遮断して純潔を守る女・処女であることを守らなければならない女」の意味構造を持つ言葉で「タブー」を意味する古相の言葉である。単に「婚期にある少女」では語の原義を解いてはいない事になる。
 部族社会においては、集団の定める秩序や掟などの約束事は必ず守らなければならない、社会的な必要条件であった。早婚の禁止は優生学的にも生命体の劣性化を防止する必要手段である。「サヲトメ・ヲトメ」はまさに社会集団の力で守らなければならない掟を言葉にしたものであり、男たちに課せられたタブーなのである。
 「乙女」の語構成は「ヲ・男・雄・牡」+「ト・止・留・の語幹・動きをそのまま留める(乙類)」+「メ・牝・雌・女(甲類)」で「男・止・女=男を寄せ付けない+女」の意味構造であることが理解される。「を」は「ヲス・牡・雄」の意で「雄の生殖器」を表す語である。したがって「小さい・ちょっとした」などの意にも用いられる。
 「ヲカス・犯す・侵す・冒す」=「ヲ・雄・男・男根」+「カ・堅固・強固」+「ス・四段」の構成で、タブーや掟を破る男性の犯罪に特定された語意構成になっている。女性は古来、受身で被害者の立場にあり、今日においては女性保護の法整備も行き届き、男たちの淫らな行為を許さない社会になっている。

 「ヲ」は「雄・男の性」の概念を表すが、もう一方の「オ」は「大きい・押す・圧迫・重も・多い」などの語幹の「オ」で「圧迫」を原義とする抽象概念を表す素語である。

 ここに「さをとめ・早乙女」を揶揄した面白い俳句がある。

 【五子稿・来山】 さをとめや 汚れぬものは 歌ばかり
 
 解釈は、純潔の少女の名前で呼ばれているところの「さをとめや」と、矛先に玉(詞の頭・タマ)を突き刺して高々と掲げておいて、「汚れていないものは、サヲトメと言う言葉だけだ」とこき下ろす川柳である。この時代においても、はっきりと「さをとめ」の正確な語意が認識されていたことがこの歌から判る。
 では「さをとめ・早乙女」を解いてみよう。
 「サ」は接頭語では解けないし「神稲」「五月」などの意味はさらにない。何故ならば次の歌があるからだ。
山家集】 いそ菜摘む 海女のさをとめ こころせよ 沖ふく国に 波高くなる。
 田植えをする乙女ばかりが「さをとめ」ではないのである。ここで「沖ふく国」は海神の住む国(わたつみ・海神)の意味で、「沖風が吹いてきて波立ってきた」と海の荒神の動きがただならぬと言っている。純潔の乙女の周辺にいる男たちの不穏な動きを、波に例えて気を揉んでいる歌である。
 本書では一切「接頭語」なるボカシ用語は使用しない。「早乙女」は「サヲ=男性の象徴・男根」+「ト・止・遮断」+「メ・女」と「乙女」よりもさらに即物的な人体語を使った、二音節語を合体させて四音節で一つの意味を作り出した造語なのである。
「サヲ」=「サ・前方斜め下方向へ進む意・笹の葉形状」+「ヲ・雄・牡・男」=「サヲ=男根・棹・竿」の構成である。この事実から「さを・男根」が隠語ではないことを和語の意味構造が明解に証明しているのである。
 では何故「サ」が「前方斜め下方向へ進む意・笹の葉形状」の抽象概念を持っているのか、それは次の「桜」の「サ」の意味に注目していただきたい。

「桜・サクラ」=「サ・前方斜め下方向へ進む意・笹の葉形状」+「ク・動きを表す辞・四段・終止形」=「サク・裂く=咲く」+「ラ・同じものの集合体でまとまりのある形状を表す」の構成である。つまりつぼみの状態で繋がっていた花びらを「裂き」=「咲き」となるのである。
 薄い紙・布・樹皮・革・葉などを「引き裂く」とどんな形状になるか。
 「サキ(連用形・名詞化語)」の類語で検証してみよう。
 「サキ=裂き・咲き・割き・先・埼・崎・岬」これらの語で共通する意味は何か。それは「形状」において全ての語が「先端が突き出た尖りを持った形」とその形状を生み出す基本の所作を表している。そして、その尖り方は「前方斜め下方向にやや下がった姿の、笹の葉とかヤジリ(鏃)・ナイフ・刀などの形状」で「男根」もまさに先端部分が同形の「サ・前方斜め下方向へ進む意・笹の葉形状」+「ヲ・牡・男」であることがわかる。
 「サ」のつく語をもっと広く見てみよう。
 「サ・矢の古語」「サカ・坂・境・界」=「サ・前方斜め下方向へ進む意・笹の葉形状」+「カ・堅固・強固」の構成で「逆らふ」の「サカ」は境界線で敵と対峙する対決の刃物の先端の形状を表す語である。昔から境界線は「サカモギ・逆茂木=敵の侵入に備えてトゲのある木の枝を立て並べ結び合わせて作った柵(サク・逆く)」などで外からの侵略に対してこの「境=サ+カヒ(防御)」を死守したのである。
 地名で「サカ」のつく土地は地形が「サ・前方斜め下方向へ進む意」であるばかりではなく、部族間の境界線のホットラインで火花を散らした歴史を物語る場所であって、地形が平地であっても「サカ」なのである。
「サカ」の類語現象に対し、これを私は「カル現象(後述)」と呼んでいる。私がこれを発見する遥か以前に、折口学(折口信夫)を継承した高崎正秀博士はすでに【八心式・ヤゴコロシキ】(一語で幾通りもの意義を発する、和語の特徴を捉えた“底語”の存在とその働きを説いた理論[著書・文学以前・桜楓社])の学説をうち立ておられたのである。(詳細は後述)
 
「サクラ」は「裂く=咲く」+「ラ」=「咲きたるモノが寄り集まりて一つのまとまりのある形状を構成したるもの」の意であるから、桜は菊や薔薇のように唯、一輪の花を一つ一つ鑑賞するのではなく、一斉に咲き誇る花の巨大な団塊の連なりを「咲きまくりたるものの群がり」=「咲く・等(ラ)=桜」として捉え、「連体形」+「ラ・群がり」で名詞化されたところに、命名をした先祖の感動の大きさが表れており、その心が伝わってくるのである。
 漢字は単に中国からの借り物に過ぎない。語意の解釈をする際に大切なことは、外来輸入した漢字という中国人の抽象概念でもって、最初から日本古来の言葉の意味を考えてはならないことである。
 「桜」の字を見て意味を考えると、和語の「サクラ」が単なる固有名詞で、特定の樹木を表す単なる「恣意的な音声記号」であると錯覚し、和語の意味構造を理解することすら出来なくなってしまうのである。
 言語学の一番危険な落とし穴は実はこれなのである。日本語のルーツを模索する試みが学界で様々にあるが、何れも再考さるべき問題点を背負っているように思われてならない。

 一口に「日本語」と言っても外来の言葉が満ち溢れていて、どこまでが本源的な日本民族の言葉であるのか、きちんとふるいをかけないとこれまた判断を過つこととなる。
 本書においては日本民族固有の言語を「和語」と表現する。勿論日本民族の原初語が何時頃どのような経緯で成し遂げられたか、その実態なぞ誰にもわかる事柄ではないのだが、仮に「原日本語」と呼べるようなこの日本列島に定住していた人々が共通的にその言葉を理解し、自ら自在に駆使し得たところの言語を「和語」と呼ぶだけのことなのである。

 万葉集の歌言葉の中にもそんなに多くはないが、外来語が混じっている。
 例えば【万葉集・3327】 衣手(ころもで)を あしげの馬の いなき声 心あれかも 常ゆ異(け)に鳴く。 

 この歌で「馬・うま(むま)」は外来語である。また「駒・こま」も和語ではない。一体どの様にしてそれを判断するのか。その謎解きの鍵を握る「和語の素語」の実態に迫って見よう。

 『言葉の中の遺伝子情報』

 DNAとは、デオキシリボ核酸の頭文字である。細胞の中には核があり、この中には遺伝子DNAが染色体という形で存在している。
 一つの細胞の中に閉じ込められた遺伝子の完全なセットを「ゲノム」と呼んでいる。
 人間のゲノムは三十億からの塩基対(エンキツイ)から成り立っていて、この中に三万種類(国際ヒトゲノム配列決定コンソーシアム二千年発表)の遺伝子がランダムに点在している。
 この遺伝子の本体がDNAであることがわかるまでに長い歴史があった。核酸性物質ということから「核酸」と名付けられたのは十九世紀のことであった。そして、それからなんと五十年も経てからやっと、この「核酸」が遺伝の基本物質であるDNAであることが判ったのである。
 現在ではヒトゲノムの解読に世界規模での激しい競争が展開されている。
 この開発競争の理由は、人間のDNAの構造がわかれば、人体の異常のメカニズムや、脳内の構造・「思考法」など全てが解読でき、病気の早期治療や難病の事前の対策がたてられ、人類に福音がもたらされると考えられているからである。
 そして今述べた人間の「脳内構造・思考法」について、ここにこそ「ロゴス・理性」の存在が秘められているのではなかろうかと私は考えているのである。

 

 


【あ~を】「63素語音義律定義」一覧

「あ=吾・主体・存在する形態・あたし・在る・開く・会ふ・編む」
「い=尖りの形態・射る形態・息・毬・行く・言ふ・怒る・活きる・石・磯・糸・稲」
「う=屈曲した形態・売る・得る・窺ふ・浮く・失せる・嘘・産む」
「え=選ばれた形態・選ぶ・蝦・荏原」
「お=押す形態・織る・置く押す・抑へ・負ふ・重・落」
「か=固い・強固な形態・刈る・駆る・軽・枯・涸」
「き=(甲類)切る・消る・見えない形態・気・着る・聞く・きすむ」
「き=(乙類)喰い込んだ形態・木(く/ku/+い/i/=/kwi/)母音調和語」
「く=口の作動形態・繰る・くくむ・喰ふ・汲む」
「け=(甲類)異様な形態(甲類)・化・けや」
「け=(乙類)消えた形態(き/ki/+え/e/=/kye/)母音調和語・毛(はげるもの)」
「こ=(甲類)子の形態・子・娘・児・粉・恋・焦げる」
「こ=(乙類)込める形態(く/ku/+お/o/=/kwo/)母音調和語・凝る・込める・乞ふ」
「さ=斜め下方向へ向かう形態・去る・裂く・刺す・盛り」
「し=下方向の形態・知る・敷く・死す・石」
「す=通過する形態・巣・素・須・する・すく・吸ふ・澄む」
「せ=背の形態・競る・迫る・急く・せめる」
「そ=(甲類)空・十。最上の形態・空・五十(いそ)」
「そ=(乙類)反れた形態(す+お=/swo/)母音調和語・反る・剃る・染める」
「た=手足の形態・立つ・足袋・旅・たける
「ち=(Ⅰ類:チビ系/ti/)小さな形態。塵・父・乳・苺」
「ち=(Ⅱ類:血管系/chi/)血・道」
「つ=(Ⅰ類:指先系/tu/)つまむ・釣る・突く」
「つ=(Ⅱ類:液体系/thu/)津・体液・水の形態・津波・汁・梅雨」
「て=手の形態・寺(手を合わせる+等)」
「と=(甲類)線引きの形態・戸・砥ぐ・隣・虎」
「と=(乙類)止める形態(つ/tu/+お/o/=two)母音調和語・取る・止める・留める」
「な=なよやかな形態・生る・泣く・成す」
「に=柔らかな土・粘土細工の形態・煮る・膠・似る・兄・脂」
「ぬ=ぬるりとした形態・塗る・塗絵・ぬく・ぬすむ・縫ふ」
「ね=見えないところの形態・根・寝・寝・ねずみ・ねたむ」
「の=(甲類)傾斜した土地の形態・野・軒」
「の=(乙類)乗る形態(ぬ/nu/+お/o/=/nwo/)母音調和語・乗る・海苔・糊」
「は=歯・端の形態・橋・箸・挟む・貼る・掃く・這ふ・食む」
「ひ=(甲類)平らな形態日・陽」
「ひ=(乙類)火の形態(ふ/hu/+い/i/=fwi)母音調和語」
「ふ=触れる形態」
「へ=(甲類)減る形態・辺」
「へ=(乙類)経過する形態・経(ひ/hi/+え/e/=/hye/)母音調和語」
「ほ=膨らんで大きくなる形態・頬」
「ま=目の形態」
「み=(甲類)見事な形態・美・御・三」
「み=(乙類)躍動して射る形態・雷・神(む/mu/+い/i/=/mwi/)母音調和語」
「む=躍動の形態」
「め=(甲類)女・雌の形態・めす・召す・女神・めめし」
「め=(乙類)見える形態・目・芽(み/mi/+え/e/=/mye/)母音調和語・恵み」
「も=(甲類)盛り上がった形態・腿」
「も=(乙類)根元の形態(む/mu/+お/o/=/mwo/)母音調和語・元・本」
「や=矢の形態・(い/i/+あ/a/=/ya/)母音調和
「ゆ=弓の形態(い/i/+う/u/=/yu/)母音調和語」
「え(ヤ行のえ)/ye/(い/i/+え/e/=/ye/)母音調和語・枝・江」
「よ=(甲類)尖りで押す形態・弱体化(い/i/+お/o/=/yo/)母音調和語・弱・夜」
「よ=(乙類)性行為の形態(い/i/+を/wo/=/ywo/)母音調和語・善・良・よがる」
「ら=同じものが集合した形態・等」
「り=張り出した形態・尻・鳥・森・盛り」
「る=現在進行中の形態・現在進行形=静止画像で終止形」
「れ=垂れ下がった形態・きれ・濡れ・ひれ・漏れ」
「ろ=(甲類)取り囲まれた形態・炉・室・囲炉裏」
「ろ=(乙類)囲まれて中が詰まった形態(る/ru/+お/o/=/rwo/)・麿・櫓・魯・助詞」
「わ=屈曲した主体・我(う/u/+あ/a/=/wa/)母音調和語」
「ゐ=連続の形態・猪・井・居(う/u/+い/i/=/wi/)母音調和語」
「ゑ=崩れた形態(う/u/+え/e/=/we/)母音調和語・餌・絵」
「を=男の象徴の形態(う/u/+お/o/=/wo/)母音調和語・男・雄・尾・苧・麻・青」

 

野村玄良・ささ玄のブログ版『日本語の意味の解』・第①回 電子本の公開 はじめに

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『日本語の意味の解』

 

 まえがき

 西欧の心身二元論においては、思考やカテゴリー化などの概念形成は心のみが行い、「身体」はそれに従属する低いレベルの価値しか与えられてはいなかった。しかしながら思考や概念形成に働く身体の重要性が認識されて以来、心と身体が対立するという図式だけでは捉えられない「因縁律」が存在する。
 カテゴリー化は概念形成にはたらく認知の様式であるが、和語における言語の身体化された概念は次のカテゴリーに分類することが出来る。
 つまり身体の部位そのものの形態と、それが時間の中で参入される要素が、因縁律を発生させ、因果律の中で新たな条件が動的な方向性を持って連結派生し、ラングの規制枠の中でパロールの力(想像力)によって新たな概念を構造化するのだ。
 つまり和語においては、単語レベル(動詞・名詞)で穏喩・隠喩が形成され、階層的に上位階の「節・文」にリンクしながら多様性を持ってイベントを遂げているのである。問題は単語の形成の「解」こそが情報工学の基礎として明確に把促しなければならない。高度な人工知能の必要条件となるものは「意味の形成規則の解」である。


 遥かな石器時代に獣を追って山野を駆け巡った我々の先祖達が伝え残した言語創生の原理は、太古のままに言語素子である「素語=意味の弁別体」として単語の中に内在されている。
 彼らの人間学的認識が紡ぎ出した「意味要素の核」が、どの部分に、祖先のメッセージとして、どのような言葉の奥深くに刻印されているのか。
 創世期における日本語の構造化の軌跡を辿る唯一の方法は、日本語のあらゆる言語データーに対して部分的ではなく総括的に、言語の本質解明のための新たな原理手法を用いて、思弁の形式化ではなくデーターサイエンスとして、科学的な要素還元主義で解析をすること以外に方法は存在しないのだ。
 
 問題はその手法に全てが依存している。新しい手法は、新しい発想と「言語成立の原理」の発見が必要である。「語の意味」を不問にしたままで、昏睡を貪り続ける時代遅れの言語学を根底から揺さぶって、コペルニクス的転換論で再構築を果たさねばならないのである。
 「語」に何故意味が存在するのか。この「何故」の問いを忘れた学問は存在する意味を失っている。遺伝子工学は「何故遺伝が子に伝わるのか」を細胞の中に存在する「遺伝因子」の構造と働きを明らかにした。遺伝子は情報を伝える因子である。言語の因子を明らかにしなければ情報工学は進化しない。

 実存哲学はヨーロッパ発の哲理ではあるが、インドの大乗思想と、これを受けた空海の「真言思想」こそが西欧の実存の哲理より数百年も前に高密度に展開した東洋の【存在のロゴス】であった
 ロゴスとは「言語科学=意味の定立・意味分析の定立」のことで理知的思考によって得られた世界の存在に対する無矛盾の科学分析の思惟のことである。「意味の記号」をネットですくい取る「インドラの珠網」という「言語体系のネット=曼荼羅」思考こそが東洋のロゴスであり世界の実存を極める哲理である。
 意義と意味の定義を可能とする世界は地平には存在しない。言語の地下階層構造がわからないと意味の定義ができないのである。
 言語の使い方をどのように観察してみたところで、「語の成立」のメカニズムは把促できない。言語使用者の使う言語は「地平」の「述語」という目に見える世界に帰属している。言語の成立、意味の成立の原理大系は「地下階層」の目には見えない「深層部」に「秘蔵」されている。
 空海はこれを「秘密の言語・密言・真言」などと呼称した。これは空海の著書「吽字義.うんじぎ」・「声字実相義.しょうじじっそうぎ」・「即身成仏義」に書かれている。
 
 秘密の場所に隠されていることを「蔵密.ぞうみつ」と言う。その秘密の場所は地平ではなく地下の奥深くに「即身成仏(実存を抽象・アナロゴンのこと)」の姿で鎮座している。それを図式化したものが胎蔵界曼荼羅金剛界曼荼羅である。「即身」とは「身体そのもの」という究極の存在(エンス)のことで「基本認識との出会い」を実現する「実存」のことである。
「ヤ行・ワ行」と古代の乙類の「コソトノモヨロ・キヒミケヘメ」の全てが「母音調和」及び「前母音脱落」語で、その内容は変更されることなく、今日も姿を隠して使われている。この基本事実に対する学的探求が全く行わなかったことによる弊害と損失は、計り知れないものがある。つまり言語と言うものは、その国の巨大な歴史的文化構造体の基礎基盤であるからだ。
 国語学・日本語学は明治以降、欧州言語学ソシュールの誤った記号論に幻惑されて今日に至っている。
 江戸時代に勃興した科学的で正統的な国学探求の流れは維新以降、顧みられることなく、欧米文化の模倣に明け暮れ、明治の後半において大きな崩れを見せた。昭和の敗戦に至って、あらゆるものが疲弊し自尊心をなかば喪失しかけた日本は、伝統文化維持という国の主体性を見失って、遥かな先祖が築き上げた国語体を自らの手で毀損させてしまった。

 外来語の入らない伝統的な日本語の「和語」の特徴は、単体の母音は常に語頭に立ち語中や語尾には数例を除いて、決して使われることはない。この法則は非常に優れた思索と経験からから生まれたもので、混雑を排除する制御機能であり、音声を明確化する音節規定の叡智であった。少し離れた場所でも意味が理解し合える仕組みを構築しているのである。
 人間は世界を解釈する主体『ア・吾』として存在する。人間が他の動物と根本的に異なるところは、身体の周辺を認知し認識することから出発し、やがて周辺の事象から敷延して天空に至る世界像を形成する為に,その身体性と人間学的認識に基づく経験の集積を特定の意味概念として記号化したところにある。人体というコスモスが宇宙の巨大コスモスと同位性を持ち、階層構造を組みたてて一体化している。
 南方熊楠エコロジーの言葉を日本ではじめて使った科学者であり思想家であった。東洋の一元思想である真言密教の哲理を、西洋の二値的思考で分析的に捉え、さらに一元的に捉え直す思考の再編成を曼荼羅の表徴する「一切智」の哲理と理法で行っている。あらゆる次元のコスモスが、「認識」の中に存在することを、言語生成の哲理として空海が抽出した真言の「真実の言語」の波動を、この東洋の科学者は自ら身体で受けとめて理解しているのである。

 意味は意味付け行為によって発生する。意味は静的な事象ばかりではなく事態が推移する状況の中でもイベントスキーマとして概念化し、派生因子を持ったスキーマ―の鋳型として身体性を持つ記号に閉じ込められる。
「ア」は存在する自分自身の総体を「ア:a・吾」の母音音節で表徴したものである。「ア」は自称の人代名詞「吾・ア」から「アル」「アク」「アム」・「アカ」「アキ」アク」:「アサ」「アシ」「アス」「アセ」「アナ」「アニ」「アネ」:「アノ」「アレ」「アソコ」:アチラ」「アナタ」:「アキラカ」「アタタメル」に展開されている。「ア」の覚醒という「認識」から「ア・吾」を機軸にして言葉を階層的に構築して積み上げている。
 二音節結合が基本形になっている和語独自の名詞と動詞の構造は、CV型開音節の音節結合によって、意味概念が構造化されている。だから二音節語は二個の意味の弁別体が結合と言う意味の構造化と言う概念形成原理を明確に示しており要素還元的に意味を分解し更に再構築を保証するのである。

 この意味構築の法則は、父と母の結びから子供が誕生するという、生命体増殖原理からの学習であると考えられる。この結合のシステムの認識が言語構築の基本的な法則性に関与していることは、あらゆるレベル単位の言語記号を観察しても、その接合と融合によってのみ言語が構造化されると言う基本原理があるからだ。日本語はこの結合された語彙と語彙を「の」で「乗せ・伸せる」のである。
 ………この岡の、桜の枝の、下土の、草葉の先の、一しづく………と、名詞を助詞「の」で繋げるだけで情景と対象を描き出すことが可能な言語である。
 言語は部分と部分の結合と融合により新たな派生因子を生産し、新しい付加的な要素を自己増殖しながら全体を構築する。和語においては既に単音節の「素語」自体に「イベントスキーマ」としての動的で派生的な膠着志向因子が存在し、「カル現象」と言う有機的な概念連鎖現象(同音異義語の誕生)が行なわれる。(カル現象・注)
 全体である水は、酸素と水素の原子の結合体であるが、部分である元素が存在しなければ水の存在はあり得ず、また水を説明することも出来ない。
 言語内における元素的な存在は「形態素=単語」ではなく、単語を構成する単音節のスキーマ化された「形態素子=素語」で、和語の音素配列規則とそのネットワークがどのようなカテゴリーを形成し、またそのカテゴリー間の結合原理が、どのような言語組織を構築するのかを説明できなければ、言語の全体を説明することは出来ないし、「語とは何か」の基本説明すらも出来なくなるのである。

 言語の発生は「身体語」の特定化、つまり身体の部位や身体が知覚する感覚器官が基底的な概念を形成して、これが「言語の核」となり、特定した音韻(狭義の)に「意味」が貼りつけられて、「意味素」である「言語の核=素語」が形成され、曼荼羅図の「核分裂」のような爆発が発生して言葉が開始されたことを強く暗示している。言葉は徐々に時間を掛けて創られてきたものではない。一瞬のうちにトップダウンが行われたと考えなければ動詞と名詞と助詞が紡ぎ出す意味とテンスと局面の精緻な変化機能を説明することは絶対に出来ないからだ。

 先進諸国の近未来の文化の中心に据えるべきものは、言語を扱えない数学ではなく、「言語科学哲学」でなければならない。
 現在の人工知能は、人間が設定した枠組みの中を超えることはできない、いわば人工知能設計者の脳の働きと質的な「世界認識」の総合能力の限界を超えることはできないという制約に支配されている。応用・運用は条件の組み合わせで出来るが、人間の着想は因果律を超えた「因縁律」という予測不能の「何か=サムスィング」の未知なる条件参入と言う偶発的な「出会い」に依ってしか「起縁・起想」は起こらない。
 ここに奇想天外と思えるような万葉集の歌がある。

 歌の真意の「解」を」求めるパズルを出したい。つまり「言語の解・カイ」とは何かという課題が歌の向こう側に隠れている。

 万葉集・巻七の 7・7・5・7・7の句で、7・7で始まる非常に珍しいこの歌には、恐しい秘密が「日本語の基本規則」を使って巧妙に隠されている。一体何をこの歌は言おうとしているのか。

1218 黒牛乃海    紅丹穂経    百礒城乃  大宮人四    朝入為良霜
くろうしのうみ くれなゐにほふ ももしきの おほみやひとし あさりすらしも

 これまでの注釈『黒牛の海が、紅に輝いている、(ももしきの)大宮人が、漁をしているらしい』
 
 1.くれなゐにほふ、とはいかなる意味か。
 2.大宮人が、漁をすると、何故に紅色に海が輝くのか。
 3.ありえない情景が歌われているこの歌は、一体何を言わんとしているのか。
 4.黒牛の海などという海はどこにも記録がない。奇っ怪な7句の固有名詞を頭に置く理由を述べよ。

 ■この質問は、誰もが知りたい「不可解な歌の意味」の構成項目を並べたものである。
 ■この歌に対する上記の質問に「人工知能」は正しい回答が出来るか。

 ■筆者の素語理論による解答は下記である。ご一読賜り、ご批判を得たい。

 kurousinoumi ⇒二箇所の母音連続の 前母音 /o/ を脱落させると 「kurusinumi (クル・シヌ・ミ)苦る・死ぬ・身」と強烈な「悶絶寸前の身体」の意味内容の言葉が浮かび上がる。この歌は、明らかに恨みを込めた隠喩の歌で、朝廷の役人共の「大宮人」を心から憎んだ「裏読みの歌」である。
 
 くろうしのうみ= 苦る・死ぬ・身の名前の海。紅の枕詞。血の海・苦しみの海の意。
 くれないにほふ=隠喩で「真っ赤な血の匂い」がするその海で、
 ももしきの大宮人し=大勢で組織化された官僚どもが、
 あさりすらしも=漁・あさりであるが、「あ・自分」+「さり・去り」=体を失い、死ぬ意味を籠めて、「死にかかっているらしい」。

 裏読みの通訳

 苦しんで死ぬ身、と言う名前の真っ赤な血の匂いがするその海で、大勢の都の役人共が、今 死にかかっているらしい。

 この歌は、5句で始まるべき歌が7で始まる。この奇っ怪な歌が万葉集に取り込まれている理由は、時代背景に原因がある。平城京の遷都後の、貧困に苦しみ疲弊する民衆の怒りの歌である。
 ◆人工知能が「人間のシタゴコロ=隠喩=悟性」を持ち得ることが出来るか。

 素語理論はこの問題に明確な対応の仕方を提示する。即ち素語分析哲学「言語実存科学」の新しい『素語理論』の提唱である。

野村玄良のㇵテブログ: ①「うきゆひ」と「きづな」

 

 

 

 幸福を求めるのは、現在自分が不幸だからである。
 幸福とは「満足」を知ることであり、その真逆の「不足」を見つけ出すのが人間の「不幸な性(さが)」である。
 幸福への要求は、一つの本能である。この人間の普遍的な願望は、功利主義を生み出し、唯物論に現れ、現代社会に根深い影響を及ぼしている。幸福に「価値」を与えるものは、ある種の「美しさ」であり「調和・ハルモニア」である。古代ギリシャの哲学者らは、人間世界の安定は、調和均衡というハルモニアの意志の力によって保たれると考えた。現代社会は、富の極端な不均衡による不公平な格差社会になっており、それに加えて弱肉強食という野性の力学の働く非文化的な側面を持つ社会になっている。個人の「ささやかな幸福」を生涯にわたって維持することは容易なことではないことは、この劣悪な世界環境のみならず、夫婦・親子の家庭内での深刻な「内輪の葛藤」が、二重の不幸を呼び起こしているかに見える。
 人は常に不幸になりやすく、そこから這い上がって幸福を求め、そして更なる出発を、終生にわたって繰り返す。「つかの間の幸せ」で………それでも良いのだと、庶民が歴史の中で幾度も繰り返し追い求めて来た「人生の営み」のパターンは、未来永劫に続く人類の本道なのだろうか。
 はてさて、幸福と不幸を、表裏一体の合わせの鏡のように、人々の生き様を写し分けている世界が文学の世界である。
 今ここに、人間の愛の葛藤を生々しく描き出した、遥かな大和時代の日常の会話で綴られた感動の叙事詩古事記歌謡】がある。

 我々の先祖たちは、何時ごろ、何処から、この南北に連なる極東の、自然豊かな列島へやって来たのであろうか。彼らはどのような言葉を語り、どの様な日々の営みをしていたのであろうか。
 古事記(ふることぶみ)の成立は、日本民族の歴史からすれば、ごく新しい年代に属してはいるが、そこには天地創成の遥かな古代を、神々の住む「神代・かみよ」として描き出している。
 古事記日本書紀に現れる歌謡や神語(かむがたり)は、叙事詩的であり叙情的な詩歌であるが、本来は土俗的・芸謡的な庶民の伝承のモノガタリ歌で、男と女が絡み合う日常のありふれたドラマが、五・七の調べで描かれている世界である。
 然しそこから「カミ」と言う全ての文字を消去してしまうと、そこに「ひこ・ひめ・ぬし」そしてさらに「あ・吾」「な・汝」・「を・男」「め・女」という一粒ひとつぶの素朴な、石器時代の言珠(コトダマ)が忽然と立ち現われてくる。
 その勾玉(マガタマ)や筒玉(ツツダマ)のような原始のコトバの珠に、赤い糸が通されて、男と女が差し向かい合う赤裸々な愛のドラマが紡ぎ出される。
 
 古代歌謡
 夫が高志の国(今の新潟県)に住む沼河比売(ぬなかはひめ)に浮気をしたことに、激しく嫉妬して詰め寄る妻の須勢理比売(すせり姫)に、困り果てた大国主命.おほくにぬしのみことは、出雲から倭・やまとへ逃げるようにして旅立つことにした。旅装束に着替えて馬に乗る準備をしていた夫が妻に、あてつけに詠んだ歌。

 大国主の歌………前半省略………いとしい我が妻よ、群がり飛びたつ鳥のように、皆のものを引き連れて鳥のように私が飛んでいってしまったら、泣かないとお前は言っても、人気のない山のほとりで、ひと本のススキのように、首をうなだれて、お前はきっと泣くだろう。お前の嘆く息は、朝降る雨のようにじめじめと、それがささやかな霧となって、やがて立ち登るだろう。萌えいづる若草よりも、なよやかな我が妻よ。………

 これを聞いて慌てた妻の須勢理比売は、今旅立とうとする夫を引き止めようと、大御酒杯(おほみさかづき)を奉げつつ詠った宇伎由比(うきゆひ)の歌。この歌を神語・かむがたりと言う。(古事記歌謡5)

 やちほこの神の命や あが大国主 なこそは 男にいませば うちみる 島の崎々 かきみる 磯の崎落ちず 若草の 嬬持たせらめ 吾はもよ 女にしあれば 汝を除きて 男は無し 汝を除きて 夫は無し あやかきの ふはやが下に むしぶすま にこやが下に たくぶすま さやぐが下に あわゆきの わかやる胸を たくづのの 白きただむき そだたき ただきまながり またまで 玉手さしまき ももながに いをしなせ とよみき たてまつらせ‥‥‥(注1、原文)
 訳
 ………八千矛の神の尊よ 私の大国主よ あなたは男性でいらっしゃるので あなた様が船で行幸される津々浦々に(島々の岬ごとに 磯ごとに)あまねく 若ゝしい愛としの女性をお持ちになられる事でありましょう でもこの私も女でございます あなた以外に男はおりませぬ あなたの他に夫はおりませぬ 綾織(あやおり)の帷(とばり)の下で 柔らかな布団に包まれて さわさわと心地よいなか 私の淡雪のような白くて柔らかではちきれそうなこの胸を あなた様の真っ白な両腕でそっと抱きしめ 互いに激しく抱き合って そして玉のような綺麗な私の手を手枕にして 足をゆったりと伸ばして いつまでも添い寝をしてください。永遠の誓いを込めたこの うきゆいの御酒(おみき)を召し上がってくださいませ………

 この歌を聞いて夫は旅をやめ、二人の絆は再び固く結びあうことが出来たという、お目出度い結末になっている。
 「ウキユイ」は旧仮名は「うきゆひ」で、さかづきを取り交わして互いの誠意を結び固める誓約のことである。
 「うきゆひ」=「浮き・水に漂う盃のような危うい関係」+「結ひ・ゆひ・ゆはひ。しっかり結ぶこと・縛り付けて固定すること」=脆弱な人と人との関係を、絆(きづな)でしっかりと結び合う古代の呪術的儀礼である。
 「うき・浮き」=「う=∩形・屈曲した形状」+「き・浮くの連用形」。盃は水に浮くところから「うき」と呼称された。
 この時代の「うきゆひ」は、秘めた二人だけの大切な言葉で、夫婦の関係を「たまごめ(言霊の力で関係を固める」霊結ひ(たまゆひ)をする儀礼が「うきゆひ」であった。男と女の二人だけで取り交わす「ちぎり・契」=「約束の言葉」である。さかづきを取り交わして互いの誠意を「絆・きづな」と言う目に見えない綱で結び固める力が、お酒にあったのである。

 神前にお神酒(おみき)を捧げるのは、神に畏敬の念を示し、神に捧げた酒を神から賜って酌み交わして神を礼まう(ゐやまふ)誓約儀礼の酒である。今日でも行われる結婚式での、三三九度の儀礼と同じで、互いに絆で固く結び合い相手を裏切らないという神前でのウキユイの誓約である。
 結べない「絆・きずな」では困る。絆は「きずな」の仮名遣いは誤りで、「きづな」が正しい。「すな砂」では結べないのだから。
 この世の中には実に様々な学問がある。そしてそれ等のいかなる学問も、最初に問われることは、その学問に値打ちがあるか否かである。 
 定義・「ねうち」=「ね=心根」+「うち・打ち」の意味構造で「心を打つこと」。すなわち「感動」のことである。
 人に感動を呼び起こす学問は、人々から大切にされ、社会も豊かになるであろう。
 学問の「必要条件」とは、そこに使われる学術用語が正しくきちんと定義されていて、混乱や矛盾が発生しないことである。特に「言語」に関わる学問は事のほか「語義に関わる問題」には厳格な定義が求められる。
 その言語の法則・規則の条理に対して、規範となる辞書・辞典の「単語の意味の定義」が「言い替え」ではなく、意味の成分である要素で定義が正しく行われているか否かが厳格に問われなければならない。これなくしてコトバの学問の成立など有り得ない。
 今一度、世間で頻繁に使われている「絆」の語を考えてみよう。
 「きづな」=「キ・眼に見えない形態・気・聞・切・消え・斬る(甲類)」+「つな・綱」=「目に見えない綱」。
 愛情や恩義という目に見えない「因縁の綱」が作り出したもの。師弟愛・犬や猫への愛情・夫婦・親子・隣人などの相互の目と目で見つめ合い、心と心だけでつながる関係は、見えない「綱・つな」で固く結ばれている。これが、切っても切れない絆の関係である。
 本来この言葉は人と飼い犬や家畜との関係に使われた語で、綱をつけなくても犬は飼い主の愛情の絆に「なつく・懐く=情を慕って結び」つき逃亡をしたり、裏切ったりしないのである。
 漢字の「絆」は「糸」が半分に切れている。だからそれぞれの半分に切れた糸を互いに差し出しあって、固く結び合わせなければ繋がらない。
 糸をたくさんよりあわせると「綱」になる。男と女とを結ぶ因縁の糸を昔は「赤い糸」と呼んだ。赤糸は生命の血管を表し、細い糸は切れ易い関係を表している。
 「絆」の文字は、半分に切れて完全には繋がってはいないという識字構造だ。漢字の辞書などでは「引っ張る意味」であるなどと誤った思弁講釈をしているので注意を要する。