野村玄良のㇵテブログ: ①「うきゆひ」と「きづな」

 

 

 

 幸福を求めるのは、現在自分が不幸だからである。
 幸福とは「満足」を知ることであり、その真逆の「不足」を見つけ出すのが人間の「不幸な性(さが)」である。
 幸福への要求は、一つの本能である。この人間の普遍的な願望は、功利主義を生み出し、唯物論に現れ、現代社会に根深い影響を及ぼしている。幸福に「価値」を与えるものは、ある種の「美しさ」であり「調和・ハルモニア」である。古代ギリシャの哲学者らは、人間世界の安定は、調和均衡というハルモニアの意志の力によって保たれると考えた。現代社会は、富の極端な不均衡による不公平な格差社会になっており、それに加えて弱肉強食という野性の力学の働く非文化的な側面を持つ社会になっている。個人の「ささやかな幸福」を生涯にわたって維持することは容易なことではないことは、この劣悪な世界環境のみならず、夫婦・親子の家庭内での深刻な「内輪の葛藤」が、二重の不幸を呼び起こしているかに見える。
 人は常に不幸になりやすく、そこから這い上がって幸福を求め、そして更なる出発を、終生にわたって繰り返す。「つかの間の幸せ」で………それでも良いのだと、庶民が歴史の中で幾度も繰り返し追い求めて来た「人生の営み」のパターンは、未来永劫に続く人類の本道なのだろうか。
 はてさて、幸福と不幸を、表裏一体の合わせの鏡のように、人々の生き様を写し分けている世界が文学の世界である。
 今ここに、人間の愛の葛藤を生々しく描き出した、遥かな大和時代の日常の会話で綴られた感動の叙事詩古事記歌謡】がある。

 我々の先祖たちは、何時ごろ、何処から、この南北に連なる極東の、自然豊かな列島へやって来たのであろうか。彼らはどのような言葉を語り、どの様な日々の営みをしていたのであろうか。
 古事記(ふることぶみ)の成立は、日本民族の歴史からすれば、ごく新しい年代に属してはいるが、そこには天地創成の遥かな古代を、神々の住む「神代・かみよ」として描き出している。
 古事記日本書紀に現れる歌謡や神語(かむがたり)は、叙事詩的であり叙情的な詩歌であるが、本来は土俗的・芸謡的な庶民の伝承のモノガタリ歌で、男と女が絡み合う日常のありふれたドラマが、五・七の調べで描かれている世界である。
 然しそこから「カミ」と言う全ての文字を消去してしまうと、そこに「ひこ・ひめ・ぬし」そしてさらに「あ・吾」「な・汝」・「を・男」「め・女」という一粒ひとつぶの素朴な、石器時代の言珠(コトダマ)が忽然と立ち現われてくる。
 その勾玉(マガタマ)や筒玉(ツツダマ)のような原始のコトバの珠に、赤い糸が通されて、男と女が差し向かい合う赤裸々な愛のドラマが紡ぎ出される。
 
 古代歌謡
 夫が高志の国(今の新潟県)に住む沼河比売(ぬなかはひめ)に浮気をしたことに、激しく嫉妬して詰め寄る妻の須勢理比売(すせり姫)に、困り果てた大国主命.おほくにぬしのみことは、出雲から倭・やまとへ逃げるようにして旅立つことにした。旅装束に着替えて馬に乗る準備をしていた夫が妻に、あてつけに詠んだ歌。

 大国主の歌………前半省略………いとしい我が妻よ、群がり飛びたつ鳥のように、皆のものを引き連れて鳥のように私が飛んでいってしまったら、泣かないとお前は言っても、人気のない山のほとりで、ひと本のススキのように、首をうなだれて、お前はきっと泣くだろう。お前の嘆く息は、朝降る雨のようにじめじめと、それがささやかな霧となって、やがて立ち登るだろう。萌えいづる若草よりも、なよやかな我が妻よ。………

 これを聞いて慌てた妻の須勢理比売は、今旅立とうとする夫を引き止めようと、大御酒杯(おほみさかづき)を奉げつつ詠った宇伎由比(うきゆひ)の歌。この歌を神語・かむがたりと言う。(古事記歌謡5)

 やちほこの神の命や あが大国主 なこそは 男にいませば うちみる 島の崎々 かきみる 磯の崎落ちず 若草の 嬬持たせらめ 吾はもよ 女にしあれば 汝を除きて 男は無し 汝を除きて 夫は無し あやかきの ふはやが下に むしぶすま にこやが下に たくぶすま さやぐが下に あわゆきの わかやる胸を たくづのの 白きただむき そだたき ただきまながり またまで 玉手さしまき ももながに いをしなせ とよみき たてまつらせ‥‥‥(注1、原文)
 訳
 ………八千矛の神の尊よ 私の大国主よ あなたは男性でいらっしゃるので あなた様が船で行幸される津々浦々に(島々の岬ごとに 磯ごとに)あまねく 若ゝしい愛としの女性をお持ちになられる事でありましょう でもこの私も女でございます あなた以外に男はおりませぬ あなたの他に夫はおりませぬ 綾織(あやおり)の帷(とばり)の下で 柔らかな布団に包まれて さわさわと心地よいなか 私の淡雪のような白くて柔らかではちきれそうなこの胸を あなた様の真っ白な両腕でそっと抱きしめ 互いに激しく抱き合って そして玉のような綺麗な私の手を手枕にして 足をゆったりと伸ばして いつまでも添い寝をしてください。永遠の誓いを込めたこの うきゆいの御酒(おみき)を召し上がってくださいませ………

 この歌を聞いて夫は旅をやめ、二人の絆は再び固く結びあうことが出来たという、お目出度い結末になっている。
 「ウキユイ」は旧仮名は「うきゆひ」で、さかづきを取り交わして互いの誠意を結び固める誓約のことである。
 「うきゆひ」=「浮き・水に漂う盃のような危うい関係」+「結ひ・ゆひ・ゆはひ。しっかり結ぶこと・縛り付けて固定すること」=脆弱な人と人との関係を、絆(きづな)でしっかりと結び合う古代の呪術的儀礼である。
 「うき・浮き」=「う=∩形・屈曲した形状」+「き・浮くの連用形」。盃は水に浮くところから「うき」と呼称された。
 この時代の「うきゆひ」は、秘めた二人だけの大切な言葉で、夫婦の関係を「たまごめ(言霊の力で関係を固める」霊結ひ(たまゆひ)をする儀礼が「うきゆひ」であった。男と女の二人だけで取り交わす「ちぎり・契」=「約束の言葉」である。さかづきを取り交わして互いの誠意を「絆・きづな」と言う目に見えない綱で結び固める力が、お酒にあったのである。

 神前にお神酒(おみき)を捧げるのは、神に畏敬の念を示し、神に捧げた酒を神から賜って酌み交わして神を礼まう(ゐやまふ)誓約儀礼の酒である。今日でも行われる結婚式での、三三九度の儀礼と同じで、互いに絆で固く結び合い相手を裏切らないという神前でのウキユイの誓約である。
 結べない「絆・きずな」では困る。絆は「きずな」の仮名遣いは誤りで、「きづな」が正しい。「すな砂」では結べないのだから。
 この世の中には実に様々な学問がある。そしてそれ等のいかなる学問も、最初に問われることは、その学問に値打ちがあるか否かである。 
 定義・「ねうち」=「ね=心根」+「うち・打ち」の意味構造で「心を打つこと」。すなわち「感動」のことである。
 人に感動を呼び起こす学問は、人々から大切にされ、社会も豊かになるであろう。
 学問の「必要条件」とは、そこに使われる学術用語が正しくきちんと定義されていて、混乱や矛盾が発生しないことである。特に「言語」に関わる学問は事のほか「語義に関わる問題」には厳格な定義が求められる。
 その言語の法則・規則の条理に対して、規範となる辞書・辞典の「単語の意味の定義」が「言い替え」ではなく、意味の成分である要素で定義が正しく行われているか否かが厳格に問われなければならない。これなくしてコトバの学問の成立など有り得ない。
 今一度、世間で頻繁に使われている「絆」の語を考えてみよう。
 「きづな」=「キ・眼に見えない形態・気・聞・切・消え・斬る(甲類)」+「つな・綱」=「目に見えない綱」。
 愛情や恩義という目に見えない「因縁の綱」が作り出したもの。師弟愛・犬や猫への愛情・夫婦・親子・隣人などの相互の目と目で見つめ合い、心と心だけでつながる関係は、見えない「綱・つな」で固く結ばれている。これが、切っても切れない絆の関係である。
 本来この言葉は人と飼い犬や家畜との関係に使われた語で、綱をつけなくても犬は飼い主の愛情の絆に「なつく・懐く=情を慕って結び」つき逃亡をしたり、裏切ったりしないのである。
 漢字の「絆」は「糸」が半分に切れている。だからそれぞれの半分に切れた糸を互いに差し出しあって、固く結び合わせなければ繋がらない。
 糸をたくさんよりあわせると「綱」になる。男と女とを結ぶ因縁の糸を昔は「赤い糸」と呼んだ。赤糸は生命の血管を表し、細い糸は切れ易い関係を表している。
 「絆」の文字は、半分に切れて完全には繋がってはいないという識字構造だ。漢字の辞書などでは「引っ張る意味」であるなどと誤った思弁講釈をしているので注意を要する。