第5回 ブログ版『日本語の意味の解』”同音異義語の鏡と屈み」


 『和語』の本質

 さてここから、和語の核心部分に入る。
 『和語』の意味の最小単位(日本語における形態素)は「一音節の音韻」=「形態素=素語」であり、そこに言葉の遺伝子情報が書き込まれている、などと言ったら人々はきっと驚くに違いない。
 それはちょうどデオキシボ核酸に遺伝子の情報が書き込まれていると言う言葉を最初に耳にした時と同じように。
 しかしこの思い込みを解きほぐし疑心を取り除くには時間がかかる。しばらく辛抱願ってこの論理展開に偽りがあるかどうか凝視して頂きたい。

 それでは「カ・ガ・ミ」の音韻が「鏡」の「意味」を表さなければならない「一音節の音声と意味」との間に制約関係が存在するのかどうか「和語の本質」に迫ってみよう。

二 日本語の『本質』

 『鏡・かがみ』の音声と意味との関係を考察してみよう。
 「鏡・カガミ」と「屈み・カガミ」は全く同じ音節構造である。しかし文法上では鏡は名詞であり品物の名前を表す語で活用しない。
 一方「屈み」は「カガ」の語幹に連用形「ミ」がついた「動詞」で、背中を丸めて前に屈曲する人の姿とその行動の状態を表す語で、この二つの語は全く異なった使われ方をする別語である。
 ところが実は「鏡」は「屈み」の語から派生して「名詞化」した語なのである。この理由を証明する為には、一音節のそれぞれの語をまず解析する必要がある。

 和語の「カ」にはどんな意味があるのであろうか。「カ」の意味は辞書を引くと ①接頭語で多くは形容詞の上に添えて。語調を強め、又は整えるもの。
  「――(香)青なる」「――(迦)ぐろき髪」 ②接尾語「すみ―」「あり―」 ③係助詞 ④代名詞「彼」 などと記載されている。しかしいくらこれらを眺めて考えぬいても「カ」の意味を割り出すことは困難である。 
 
 『隠された意味を取り出す』

 一音節語(素語=形態素)を解き明かすには、ツール(道具)が必要になる。道具がなければ何も見えてこないのである。デオキシリボ核酸の構造を見るには顕微鏡が必要な様に。
 小道具として【キ・サ・シ・ス・ツ・ヒ・ミ・ム・ラ・リ・ル・レ・ロ】を検証する語の下につけてみて、類似の意味形態がどのように構成されているのかを対比分析すればおのずから「隠された意味」が浮かび上がってくる。(後述[ル]の項をご参照)

 『カ』の意味を小道具で検証してみよう。
 あらかじめ、「堅し」と言う言葉から「カ」=「堅固・強固」の概念を持った語と想定して「カ」を用いた語を対比分析してこの解釈が妥当かどうかを調べてみよう。
「カキ・蛎・垣」=「カ・堅固・強固」+「キ・取りつき食い込む(乙類・キの意味は既に検証済み)」の構成である。蛎は岩などに強固に取りついて手で取ろうとしても簡単には剥がせない。垣は垣根とも言うように土の中に強固に食い込ませてあるから防護の役割を果たすことが出来る。蛎も垣も同じ意味の「強固+取りつき食い込む」を表す語である。
 「カサ・笠」=「カ・堅固・強固」+「サ・前方斜め下方向へ進む意・笹の葉形状」の構成である。こうもり傘でも菅笠でも一定の強度を持ち、前方斜め下方向へ進む傾斜があり、笹の葉形の様に先が尖った形に出来あがっている。
 「カシ・樫」=「カ・堅固・強固」+「シ・下・棒状」の構成である。
 「カシ・牁(船を繋ぎとめる杭・もやい杭)」=「カ・堅固・強固」+「シ・下・棒状」の構成である。
 「カス・粕」=「カ・堅固・強固」+「ス・抵抗なく通過」の構成である。抵抗なく通過したものは「液体の酒」である。つまり、もろみを麻袋に入れて強力に圧をかけて酒が「ス・通過」したものが「カス」で水分のないカスカスの値打ちのない物である。
 「カツ・勝つ」=「カ・堅固・強固」+「ツ・四段」の構成である。崩れは無く堅固・強固な状態を保つ意。
 「カヒ・貝・卵・飼ひ・買ひ・蚕」=「カ・堅固・強固」+「ヒ・四段」の構成である。堅固・強固にする。廻りを固く閉じて防御する意。(詳細は後述)
 「カミ・神」=「カ・堅固・強固」+「ミ・身(乙類)」の構成である。堅固にして強固なるものの意。(詳細後述)
 「カム・噛む」=「カ・堅固・強固」+「ム・四段(甲類)」の構成である。上下の歯で強固に挟み砕く意。
 「カラ・殻」=「カ・堅固・強固」+「ラ・同一物が寄り集まって出来た集合体」の構成である。

 
『カル』現象

 「カル=刈る・枯る・固る・軽る」=「カ・堅固・強固」+「ル・四段」の構成である。
 例えば、草を固い刃物の「カマ・鎌」で「刈る」とやがて草は水分が蒸発し、「枯れる=枯る」状態になる。そして時間が経過すると、乾燥して「固くなる=堅る」そして持ち上げてみると「軽る・カル」になっている。これを私は「カル現象」と命名する。「カル」というラングが様々なバリエーションを広げていることが理解される。この現象を見て「音声と意味との関係は恣意的である」などと言うのは妥当ではない。
 この様に日本語はかなり理屈ぽい言葉で、基本の「カ=堅固・強固」+「ル」の意味構造を安定的に保持した状態で、意味を連鎖的に拡張して展開させている事が判る。
 日本語の発生の草創期に思いを馳せる時、この思慮的に意味を多義に派生せしめて八方に広げていく「カル現象」は我国特有の言語形態で他にも同様に連鎖展開する「サ」「ホ」「マ」など幾つもあり、日本語の本質を示唆する言葉の「遺伝子情報」の一つとも言えよう。
 日本語の「源流」を考察する時にはこの特質を考慮に入れて正確な言語対比をすべきものと考える。
 「カル」はさらにもう一つの様相を連鎖展開させている。
「カル=駈る・狩る・借る」の語を考察してみよう
 「駈る(追い立てる意)」=「カ・堅固・強固」+「ル」の構成で、「カ」の状況にあるのは獲物を追う人間で、「チカラ=力」を出しっぱなしにしている状態を示す語である。筋肉に力を入れると身体が「固=カ」になる。「アカ・赤」は「ア・吾」+「カ・堅固・強固」の構成語で力むと顔が赤らむ。だから活用語の「あかり・あかる」が派生して存在するのである。「赤ん坊・赤ちゃん」は力いっぱい泣いて自分の身体を赤信号にして母親の注意を引き付けているのである。
 「チカラ」は何故か漢字で「力」の文字を使う。擬音語で「カチカチ・カンカン・カラカラ・カタカタ・カリカリ」など石や金属などが触れ合った時に発する音の印象が「カ・kwa」「カ・ka」であったと考えられる。
 石器時代は人類の歴史の中においては殆どであると言っても過言ではない。鉄を手に入れてからの年数はたかだか三千年である。永い永い石の時代に言葉が作られたことを忘れてはならないのである。
 話がそれたが、獲物を「石持て追う」姿が原始の「駈り・狩り」であった。
 稲を刈るは「米という獲物・収穫物」を石の手鎌で「カル」のであり「狩り・駈り・刈り」は意味的に連鎖した語で同じ範疇の語彙であることが理解できよう。
 また「借り」は、これも「カ・堅固・強固」+「リ」の構成である。人の所有権に対して「力」を出して強固に一時的に自分の自由にさせてもらうことで、「借り」の基本概念は自分が強固であることを誇示しなければ、他人や銀行は、簡単に物や金を貸してはくれないと言う相互の力関係を示す言葉である。
 社会哲学的とも言える「信用創造」の初発の原理原則を示す言葉なのである。
「カ」が堅固・強固を表す意味を持つことはまだいくらでもその証拠を山のよに積み上げることが出来る。     (「カ」に付いての詳細説明は後述を参照)
 
 さて話を『鏡』に戻すと、「カガミ=屈み・鏡」は「カ・堅固・強固」+「ガ=堅固・強固な状態には至らない、中途半端なガサガサ・ガラガラなどの様に少し障りのある不完全な堅さや、力が少し足りない状態を表す濁音語」+「ミ・四段」の構成である。 
  「カミ=力を入れて身体を硬直する・上顎と下顎に力を入れて噛み」ではなく「ガミ」であるから「少しだけ身体に力が入った状態」を表す語である。だから「前かがみ」になるのは、人は後へ「かがむ」ことなど出来ないから「かがむ・かがみ」で「身体が少しだけ固くした状態で前方へ屈曲した姿勢」を表わした語である。

『ガ+ミ・ム(甲類)』の用例は「あがむ・崇む」「いがむ・怒む」「おがむ・拝む」「しがむ」「せがむ」「とがむ・咎む」「ながむ・眺む」「ひがむ・僻む」などは全て「濁音」で人体の動きや体形に、力の入り具合がやや抑え気味にした感じの表現となっていることが判る。これらの語は何れも「前方へ身体が屈曲した状態」の意を含む言葉であることが理解できよう。
 「鏡」が「屈み」から派生した理由は「水鏡」に対して身体を「カガメテ・屈めて」覗き込んでいる姿なのである。
 大陸から錫と銅を溶かして     「で」削除              で          作られた鏡が渡来する前は勿論のこと手鏡の無い場合は、器(ウツワ)にいれた水に顔を映して「水鏡」として利用していた。何故そんなことが判るのかと言えば「ウツハ・器」「ウツル・映る」の言葉があるからである。
 「ウツハ」の語を検証してみよう。
 「ウツハ・器」=「ウ・∩形・屈曲した形状」+「ツ・水」+「ハ・張(張リの語幹)・端」の構成である。「ウ・∩形」は湾曲した器の形状を表す語である。
 「ウ」の用例・「浮く=湾曲した形状の物(お椀・丼・舟)などは水に浮く」「畝・ウネ=土を湾曲に盛り上げたもの」「浦・ウラ=浜が湾曲している」「瓜=湾曲して盛り上がっている物」「潤む・ウル・ムの語幹=湾曲した物体の表面を覆う」「うれ・末(植物の成長する先端・梢)=柔かな若い枝葉であるから湾曲している」「うろ・洞=内部が湾曲していてぐるりが岩や土で取り囲まれた空間」「頷く・ウナヅク=ウナジ(首筋の後)を湾曲する動作」「鰻・ウナギ=体を湾曲させてなぐ動きをするもの」「うたた寝=身体を盾(タタ=盾)とみなして、体が前方に湾曲する姿で寝る=防護の盾が湾曲した=自失の状態を表現する語。だから「うたた」の語意は「湾曲した盾・防御が崩れた形・自失の状態」であるから、うたた寝をすると寝首を取られてしまったり、風邪を引いたりするから注意が必要である。

 こんどは「ツ」を検証する。「ツ」は液体の総称「水・体液・水域・潮水」のことである。「体液が基本で液体を表す=ツ・唾・血・乳(古くはツ音)」詳細は「ツ」の項を参照。
 「うつる・映る」=「ウ・∩形・屈曲した形状」+「ツ・水」+「ル・四段」の構成である。つまり身体を「屈み・カガミ」+「ウツハ・器(水を張るもの=うつはもの)」+「ウツル・水の張ってある方向に身体を湾曲すると自分の顔が映る」。この様に「カガミ」「ウツル」の意味は明解に解読できる。
 「うつそみ」「空蝉・ウツセミ」の新解釈については後編「ウ」をご参照。

  『音声と音韻の違い』

 「音韻・オンイン」の語についてその意味をはっきりさせておかねばならない。
 人が声帯を振動させることにより空気を媒体として音波が空中を伝わり耳で感知できる、その波動を「音韻」と言うが、狭義の意味解釈においては「音韻」に対する概念として、「心理的・観念的要素」の存在を無視した、一回毎に発音される物理的な音そのものであると考える。
 一方、広義の「音韻」は人が発音できる音の中から、有限の数の音を選んで、言葉として相互の意思疎通の用具として使っているその「音の夫々の違いを系統的に調べて物理的な音の単位を規定したもの」これがつまり広義の「音韻・音素」と言うのである。
 つまりこのことは、狭義の「音韻」は単に音の単位を規定しただけの物理的な音声であり「意味」の介在はないと言っているのだ。


 和語の広義の音韻について見てみよう。一音節【サ・SA】について言えば、【S】の子音(音韻)にも【A】の母音にも何らの「心理的・観念的要素」は附与されていない。しかし母音の【A】だけを切り離すことがもし可能であるとしたならば【A】は「ア」の独立した一音節に変貌し「吾・自分・自我」の意味を附与された「素語」となる。しかし「サ・SA」は和語においては既に遥かな古代において我々の先祖と言える人々の社会集団の中で「サ」の音声に対して「前方斜め下方向へ進む意・笹の葉形状」の心理的・観念的要素を附与しており、それはちょうど一枚の紙のように表裏一体になってしまっているので、片一方を取外そうとしても全く不可能である。
 だから今日「サ」を個人的にそして恣意的に「円形」の意味に転換させようと試みてもそれは社会が受け入れない限り無駄なことであるし、その望みは馬鹿げた望みと言うことで社会的に容認される事柄ではない。
  音韻と意味との関係が言葉の最小単位である一音節の音韻である「アイウエオ……」四十七音と古語十三音、及び濁音全てに夫々異なる概念が特定されているのである。しかし例外があり、「辞=助詞・助動詞」には「働き」と「働きの概念」があるが意味(シニフィエ)はない。この「辞」の働きの研究は充実されているが【辞】の本源的な観念は脳内にある「ロゴス」によるものかもしれない。この意味からもヒトゲノムの解読が待たれるのである。
 和語では音節が異なれば「語意」も異なるのはごく当たり前である。しかしながらこの事実を、音韻と意味との関係は「恣意的」であるから「一音節」の意味の領域に入ることは「意味がない」と唱える一部の国語学者にとっては、日本語の本質が全く理解し得ないこととなる。

 『言葉の深層真理』

 ロゴスという高次元の能力は「グレートサムシィング」の存在を信じたくなる程のレベルの高い脳内に存在する天与の理性である。前に述べたがこれをコンピューターに例えるなら「CPU・セントラル・プロセッシング・ユニット・中央演算処理装置」と呼ばれている計算機に組み込まれた基本ソフト・OSと同じ意味合いを持ち「脳内にあるロゴス」が言語と一体になって音声を操って仕事をするように、このCPUも様々なソフトを操って仕事を処理するのとよく似ている。
 人間はこのロゴスの働きによってカオスであるこの世の現実世界の事象を、整理され秩序立てられた思推(理性)に基づいて言語化されるのだが、言語を構成する単位的要素として「語彙」が絶対的に必要となる。そしてこの初発の語彙を産み出す為の要因は脳内に蓄積された体験や遺伝情報の中に存在する理性のメカニカルな動機によって、個別的に語彙の選択が成し遂げられていくものと考えられる。しかし、その選択は無制限に自由(恣意的)ではなく一定の枠組みの中で無機的ではなく有機的に進行するものと思われる。この、一定の枠組みの違いが民族毎に異なり、多様な言語地図を地球上に描いているのである。
 日本語の「枠組み」は「CV」構造と言う一音節の枠の中に意味(抽象概念)を附与しその「CV形態素=素語」の様々な組み合わせによって語彙群を構築したのである。
 和語と近隣諸国との言語比較は「形態素」と「形態素」からの出発でなければ意味をなさないことは明らかである。


 二 上代特殊仮名遣

 現代では母音がアイウエオと五つしかないのだが、今からざっと千四百年前の飛鳥・奈良時代の言葉には驚くべきことに、八つの母音が存在していたことが判っているのである。
 三つ多いその母音とは、「エ」と「イ」と「オ」のそれぞれに、二つの異なる母音が存在した、とされているのである。
 そしてそれらを、きちんと使い分けをしていた証拠は、万葉集古事記日本書紀などに使われた万葉仮名(真仮名とも)の「古語十三音(エ・キ・ケ・コ・ソ・ト・ノ・ヒ・ヘ・ミ・メ・ヨ・ロ)これに濁音が入る」の特定語に整然とした仮名の書き分けがあったことが証明されているのである。この『上代特殊仮名遣』の研究は橋本進吉博士の手により大成された。
 この特殊な語には甲類と乙類(橋本博士の分類語)があり例えば甲類の「コ」には「粉・庫・姑・古・枯など他に多数ある」乙類「コ」は「己・木・虚・巨・など多数」の文字によって使い分けがなされていたことが判明し、その甲乙使い分けの理由は、発音が異なっていたからというのである。
 本書では、この分類に関して単なる音韻の相違そのものにはあまり興味はなく、(甲類)(乙類)の意味的世界の相違に最大の関心を持っているのである。
 一説に(甲類)(乙類)の相違を「陰性・陽性」の語を使って説明する向きもあるが私には全く理解の範囲を超えており感想を述べることすら出来ない。
 はっきり言えることは(甲類)・(乙類)は別の素語と言うに過ぎず、単に抽象概念の異相を表すもので、それ故に和語の本質を解き明かす「石のカギ」とも言える貴重な存在なのである。

 国語の科学者
 
 日常使われている言葉に対して無関心でいられる人間はいない。言葉が生活を支え社会を動かしているからである。これほど重要な言葉が一体どの様にして作られているのかを科学的に研究する分野が言語学である。
 和語研究の歴史は大伴家持万葉集歌詞の注記に「て・に・を・は」の「辞」の考察がありこれが我国の言語研究の萌芽とされている。
 しかし本格的な研究の名にふさわしいものは,中世の歌人連歌師たちの歌学からであろう。
 鎌倉時代の鎌倉地内の小庵で万葉集を研究した天才歌学者・仙覚律師は、万葉仮名の分類をして、正しい読みや注釈を行い「万葉集注釈」を世に出した。
 この「歌学」の流れを受けて、江戸時代には大きな研究の花が次々と開いた。
 「あめつちの言霊(ことだま)は、ことわりを持ちてしづかにたてり」と言葉には三つの「理・ことわり」を秘めているのだと、論理的で冷徹な観察眼をもった言葉の科学者が出現したのである。
 それは「かざし抄」「あゆひ抄」を著した富士谷成章(ふじたになりあきら・せいしょう)その人である。
 彼が第一級の日本語研究者である理由は、「言葉の位・くらゐ」の名称で「かざし・よそひ・あゆひ」の三つに品詞分類をなし、そして「名」を別格扱いとした点にある。
 「かざし」は代名詞・副詞・接続詞・感動詞など他の語の上にカンザシの様にこれらの語を置くことから命名されたものである。
 「あゆひ」は人の足の様に「あゆむ」ところから語の下について動きを表す、助詞・助動詞と接尾語もこれに当てている。
 「よそひ・装」は用言の活用を説いたもので「あゆひ」を説明する為に必要な活用の体形を「本(もと)=語幹」「末(すへ)=終止形」「引靡(ひきなびき)=連体形」「往(ましかた)=連用形」「目(めのまへ)=命令形」「来=未然形」「靡伏(なびきふし)=已然形」そして形容語尾の「伏目(ふしめ)」「立本(たちもと)」と和語の活用体系を整然と解き明かしている。
 「名・な」は意味を持つ名詞或いは語幹であるが、助詞や活用語尾には働きや現在過去未来・観念を表す「ロゴス・理・ことわり」だけが存在して意味はなく(辞)と喝破している。
 辞は、単独では文の成分にならないもので、「形式的な概念」を表し、また概念の過程を踏まない単なる形式だけを持つ語である。
 ここに意味を表す「名」に注目しなければならない理由があるのである。言語の究極は「名=意味・抽象概念」であり、「辞」は手足や身体を使った身振りや表情「命令・疑問・危険の合図・物事の状態の形式・喜怒哀楽の働き・現在過去未来の時空の局面」を表す形式で、意味とは次元を異にする辞である。


 『和語の曙』

 日本民族の言語を「和語」と呼ぶ。この和語の概念は、一切の外来語を排除した日本民族と呼べる人々が自らの言葉にしてきた純粋な日本語のことである。
 では、日本人とはなにか、日本民族はどこからこの列島にやってきたのか。現代の日本人の実態はいかなるものか、そしてどんな歴史過程を経て今日に及んでいるのか。
 これらの問題は、遥かにかすむ時間の彼方に打ち消されており、これからも永遠のテーマであり続けるに違いない。
 この列島に人間が住んだ最も古い証拠は洪積世人類の存在であり、なんと約十万年前に遡るといわれている。
 三ケ日・牛川などの古代人は旧石器時代の末期二万年前までのものである。この無土器時代から、縄文・弥生・古墳時代を経て、飛鳥・奈良時代と移り今日に及んでいるのだ。
 考古学と人類学の研究成果としてはっきり言えることは、現代日本人は東南アジア人であるマレー系の血が最も濃く、次いでインドネシア・朝鮮・アイヌ民族の特徴が混在していることがわかっている。
 これらの血が日本列島に入る以前から、この地に住みついていた原日本型人種の中に、外来の血が複雑に混じり込んできたのである。では和語は一体どのような形で形成されたのであろうか。この謎を簡単には解き明かすことの出来ない理由がある。それは民族混血の実体が歴史的に何一つ判らないと言う事実からである。
 国語学の立場から実証的に究明できる限界は、飛鳥・奈良時代までである。
 日本語は近隣の国々とどれほど似ているか、といった言葉の比較研究で、系統論・流入論・成立論などがある。しかしこれらの研究も多義に渡る解釈から結論がまとまってはいない。
 本書では一切「語源」の語は使わない。なぜならば和語の「みなもと」も日本人の「みなもと」も誰にも判らない謎の世界であるからだ。
 あくまでも語の意味を「構成」している「意味の構造」について科学的に類推し集約するだけで、出来得る限り憶測を排除して、和語の実態を列挙するだけである。
 一音節の「素語・ラング」の抽象概念・意味は一貫しており、決して変化することはない。

第三章  『素語』の特定

 初めに注意すべきは、一音節の素語は一つだけの名前を特定するものではないことを明確にしておく必要がある。
 例えば「歯・ハ」は歯が持っているところの様々な機能や形態・形状であるところの「鋭い形状と、切る機能=刃」「挟む機能=鋏・ハサミ」「形状・と状態=端・ハシ・ハタ(上歯と下歯の先端)」「上下の歯が離れる動き=離れ・ハナレ」「擦れる動き=外れ・ハズレ」「粉砕する機能=食む・ハム」「根を持つ歯=ハネ=羽+根(胴体に基が見えないところで繋がっている)」「歯とはぐきの状態=葉+茎=枝の葉」「生え=歯が生える(幼児の乳歯)」「歯に力を入れる=ハカル=手の端(ハ)に力を入れる=計る」など、他にも用例は多数ある。
このように「素語」は「機能・形状・性質・抽象」を表現する「基底的な概念」を持つ語である。
 「ハ」を表現すると「葉が歯茎から生えた歯のように、枝端(エダハ)の端々から葉が生えている」。このように「ハ」は基底語の「歯」から意味展開が四方八方に伸びているのである。「ハ」が「葉・刃・羽・端」の意味を持つが故に「音
と意味との関係は恣意的である」などと短絡的に主張してはならないのである。
少なくとも言葉の意味に関心を持つ立場の人々にとっては事態は深刻となる。

 『素語』とは。
 (1)和語の一音節・素語は、意味形態を・六つのグループに類別することが出来るが、各グループにオーバーラップして連鎖的に意味が広がる語も有る。
 ①人体語. ②形状語 ③性質語 ④動作語 ⑤抽象語 ⑥辞(意味はなく働きのみ)
(2)一音節の『素語』又はその組み合わせによって全ての単語や語幹が構築されている。
(3)「素語」は助詞・助動詞などの辞と結びついて、物や事象の本質的な実態を基底的な一つの観念として保持する二音節の基底語を形成する。そしてこの基底語は多角的に意味の連鎖と拡張を八方に広げて、異なった意味を幾つも創造する「カル現象」を引き起こし、和語の表現力を拡大せしめている。
 (4)素語と素語の結合により二音節語が構築されるが、夫々の素語の意味は消滅したり変化することなく、生きたまま新語を支えている。
 

 『日本語の特徴』

①日本語では、音節が単独で発音できる最小の単位である。日本語の音節は、子音と母音が一個ずつ組み合わさった単純なCV構造【C(子音)V(母音)】である。「カ・ka」「キ・ki」「ク・ku」と、子音が頭で母音が後に付く。 
 ②母音音節は語頭にしか立たない。
 ③母音が連続しない。これを「母音連続禁止の法則」と言う。
 ④エ列音・ラ行音・濁音音節は伝統的な和語の語頭に立たない。また語中にはほぼ一個のみ。
 ⑤和語の基礎的な語は一音節で上代特殊仮名使の音韻も含めて、全ての一音節に特定された意味(抽象概念)が付与されている。
 ⑥二音節語は一音節語の要素が複合して成り立っている。
 ⑦三音節を超える多音節語は一音節語と二音節語の要素が複合して出来上がっている。
 ⑧基礎的な語には同母音が繰り返される。例「コト・モノ・キミ・キシ・ヤマ・ハナ」など。